1999九寨溝ツアー Part-4
 


第四日目、バスは成都に帰ってゆく。その途中で北京のおっさんと話する。

おっさんは今回のツアーに色々不満を持っていて、
「君はどう思う?」と聞いてきた。彼は言う。
「俺は何カ月も前からこの旅行を計画して、短い休みをやり繰りして来たんだ。だから、とても残念だと思っている。ホテルの問題もそうだし、ガイドもやる気がないし、時間も少ない。メシだってひどいものだ。」
彼はこの旅行のために、給料の一月分かそれ以上の大金を投じて来ているのだ、不満はもっともである。それに比べて、
「僕はあまり問題はないよ。ツアーを申し込んだのは出発の前日だったし、値段も安かったし、ホテルも想像どおりだった。」なかなか中国語が出てこなくてうまい言葉が見つからないが、何とかこんなことを伝えると、
「それは、君の“要求不高”ということだね」と言葉をおぎなってくれた。

この“要求不高”という表現は全く的を得ていて、頭の中で何度も繰り返してみた。はじめから僕は何も期待していなかった。ホテルは泊まれればいいと思ったし、バスもまさか冷房付きだなんて思ってもみなかった。それどころか、九寨溝まで来れることすら確証がなかったのだ。もし、ツアーに参加出来なかったら自分の力でバスを探し、宿を決め、メシを食わなければならない。そして、10日という休暇の中ではそれはほとんど不可能に思えた。だから、このツアーがまだ参加者を募集していて、それに参加できたことで既に要求は満たされていたのである。

しかし、一方で僕の要求は全く満たされなかったとも言える。僕が九寨溝に求めていたのは、美しい自然、静かな秘境のイメージ、あふれ出る詩情にまかせて物思いにふけること。そんな要求はどれ一つとして叶わなかった。
北京のおっさんに聞いてみた。
「あそこには人が多すぎたと思わない?」
「人は多い。だけどそんなことはガイドも承知しているはずだ。だから按配(仕切り)が悪いんだ。」
質問の真意を理解していない。自分の言葉の未熟さをふがいなく思ったが、同時に、この北京人に僕の要求を伝えることはそもそも無理なのではないかと、諦めることにした。

成都の手前でガイドさんがアンケート用紙を回覧した。かわいそうに、昨日一生懸命盛り上げてはいたものの、本質的な解決にはならなかったようだ。よい・普通 ・ダメの三段階評価をさせるその用紙には「ダメ」の欄だけ沢山書き込みがしてあった。

要求不高。またその言葉を思い出して僕はアンケートには何も答えず、次の人に黙って回した。

おしまい。




もう一言。
では、この旅行に僕が全く不満だったか?
そんなことはない。
先にも書いたが、九寨溝に行くにはこの方法しかなかったのだし、そもそも中国で美しい自然にどっぷり浸かりたいという事が、大それた要求なのである。そんなことも含めてある程度覚悟はできていたし、色々な事件が次々と巻き起こって、息を付く間もなく過ぎてしまった。それは、大自然の神秘よりも圧倒的な、中国ならではの体験である。
みなさん、これを読んで行きたくなくなったでしょう。でも、九寨溝の風景は一見の価値はあります。人が少ない時期を見計らって、是非行ってください。“要求不高”を忘れずに。