初めてのヒッチ●1998石林
 


昔から思っていたのだが、中国のバスの運転手には気合いの入った目つきをしている人間が多い。
店の店員やらが瞳孔の開ききったような目で働いているのと比べると、運ちゃんの目には獲物を狙う野生の輝きが宿っていて、頼もしい。幹線道路を走るには、ちんたら走っている奴らを抜き去り、対向車とチキンレースを繰り返し、何時やってくるとも知れぬ故障やガス欠との孤独な戦いを胸に秘め、さらには道端に待っている客を確実に見つけて満員の車内に押し込まなければならない。緊張感に満ちあふれた仕事だ。 シリコンバレーではベンチャーキャピタルが、ウオール街では証券ディーラーが、そして中国の道路ではバスの運ちゃんが生き馬の目を抜く競争を繰り広げている。

もちろん運転手も千差万別で、いい目のヤツらばかりとは限らない。だからバスに乗るならできれば目を見てから乗る車を選びたい。というのも中には目の濁った悪人風情の運ちゃんや、目線の泳いで落ち着きがないの、血走っておっかないのがいたりして、そんなヤツの運転はご免被りたい。大まかに言って、目つきの鋭い人はスピードも出すけど安全運転で、目の濁った人だと営業第一なので客を探すためトロトロ走る。やる気の無い目のは最悪で、スピードも出さないし客も乗せないし、場合によると目的地に到着しない。

麗江から中型バスに乗り込んで、運転手の後ろの席を選んで座った。すると切符売りのおばさんに、「その席は止めた方がいいわよ、後ろの席にしなさい」と言われた。この席は別に悪い席だとは思わなかったのでそのまま居ると、運ちゃんがやってきて運転席に座った。若い運ちゃんで、その目は神経質にきょろきょろしていた。切符売りのおばさんは、「この運転手は窓を開けるのが大嫌いだから、あなたの席の窓は絶対開けちゃだめよ」という。約4時間の道のり、バックミラーに映る顔はニコリともせず、 一言もしゃべらず、機械の様に走り続けた。ぼくは風の来ない席で窒息しそうになりながら緊張して見守るしかなかった。

廬山から九江に向かうバスは満員だった。運ちゃんは50歳くらいの真っ黒に日焼けした山賊みたいな風体で、目つきは悪人のそれだった。もう満員なのに、いつまでたっても発車せず、まだ客を乗せるつもりのようだった。助手席の僕の隣にまず子供を一人乗せ、さらにちょっと綺麗なおねえさんを運転席と助手席の間に座らせた。おねえさんは丁度ギアレバーをまたがるように座り、体はほとんど運ちゃんに抱き支えられるようになっていた。これでやっとバスは発車したが、ギアチェンジをする度に運ちゃんの手はおねえさんの股ぐらをまさぐるような按配(あんばい)になっていた。もぞもぞするおねえさんに向かって運転手は「問題ないよ」と言っていたが、問題なのは運ちゃんではなくおねえさんの方だよと思いながら急カーブの続く路を左右に揺られて行った。

昆明から石林に行こうと思ってバスに乗った。バスはガラガラだった。沈んだ目をした運ちゃんは、舌打ちをしながら客のいない不運を嘆いていた。一時間近く昆明の町中を走って客を探したが、全然いなかった。乗客は5人くらいだったが、みんなで早くしろと騒いだのでバスは仕方なく石林に向け走り出した。間もなくあるドライブインに停車するとおもむろにボンネットを開け、中をチェックし始めた。「だめだ、車が壊れた、別のバスに乗り換えてくれ」。というと、運ちゃんは走ってきた別のバスを止め、運賃をいくらか払って僕らを乗せた。振り向くと、ドライブインから昆明に向かって走り出すバスがあった。さっきまで僕らが乗っていて、故障したので先へ行けなくなったはずのバスが、意気揚々と帰って行く。怒る気にも笑う気にもなれなかった。今度から乗るバスは選ぼうと心の中で思った。



石林から昆明まで戻るとき、幹線道路で貴州の方から来るバスを待った。
来たバスはとても汚れていて、しかも運ちゃんの目つきは血走っていて怖かった。なんだかヤナ雰囲気だったのでこのバスには乗らないでおいた。ところがこの後、バスは一切やって来なくなってしまった。飛行機の時間が迫っていたのでのんびりとはしていられなかった。そこでヒッチハイクをしてみる事にした。

乗用車やトラックが止まってくれたらどうしよう。と不安混じりだったが、全然止まってくれない。止まってくれたのは普通の中型バスだった。中は新品で座席にはビニールが張ってあった。貴州省の工場から昆明に納車に行く途中で、小遣い稼ぎに僕を乗せたようだ。他にもう一人若い男が乗っていて、こいつも小遣い稼ぎのターゲットにされたらしい。運ちゃんの目をよく見ると、善良そうではあるが、とても頼りないヘロヘロな目つきをしていた。

貴陽から延々運転してきたこの運ちゃんは昆明が近づくに連れて明らかに油断していた。「昆明についたら休暇もらってのんびりしちゃうもんね」って感じだ。あと1時間くらいで到着なので、到着前に車を綺麗にするべく洗車屋にバスを止める。まず外から高圧で汚れを落とし、中もホースで水をかけて掃除する。この間、全員車外に出てバスが綺麗になって行く様を見守る。「このバスは7万元するんだよ。日本でバスって幾らするの?」と聞かれたが、バスの値段の相場なんてしらない。間もなくピカピカになったバスにまた全員乗り込み発車。

石林から昆明の間の道なりにはアヒルの丸焼きを売る店が軒を連ねて観光客やドライバーを誘っている。運ちゃんも思いきり誘われているようで、店の前で徐行してはじっくり品定めする。そして方向転換するとさっき通り過ぎた店でアヒルの丸焼きを一匹購入してバスに搭載した。

のんびりしたドライブだった。新車だからスピードも出さず超安全運転で進む。新車だから汚さないように水たまりや泥をよけて走る。何時になったら到着することか。事故には遭いそうもないから良いけど。と僕は眠くなっていた。運ちゃんはご機嫌で、アヒルがずり落ちないように位置を変えたりしていた。

その瞬間、パン!という音がしてバスは急停車した。前を見るとフロントガラスは完全に砕け飛び、運転手は腕を血だらけにしている。事故に遭ってしまったのか?でも回りには一台も車もなく、イヌの死骸や、石とかも落ちていない。

衝突ではなかった。フロントガラスが不良品で振動に耐えられず勝手に砕け散ってしまったのだ。新品なのに壊れるなよ!と僕は笑いたかったが運ちゃんはそうではなかった。腕から血をダラダラ垂らしていたが目は宙を泳いでいた。 「二人とも見てたよな。俺は悪くないぞ。勝手に割れたんだ。俺じゃないよ、こんなの弁償する事になったら俺の給料の何ヶ月分かが飛んじゃうよ。頼むから二人とも一緒に納車先に来て証明しておくれよー」 と真剣そのもので涙を流さんばかりだったので一緒にバス会社まで行って証明してあげることにした。

バス会社に到着すると仲間達の「新車じゃねえか、こんなになっちゃって」という声に迎えられて、運ちゃんはもう死んじゃいそうだった。怖そうな上司が出てきて何も言わずにフロントガラスをにらんで、首でこっちに来いと合図した。

結局もう一人の乗客が事故の顛末を証明する文章をしたため、僕はそこにサインをした。そして怖い上司から解放された後、運賃の10元を運ちゃんに差し出すと、安堵のためか涙のせいか、ちょっぴりうるんだ目で押し返された。手間をかけた上にお金までもらえないよ、ってな具合に。

こうして運ちゃんはフロントガラスを弁償することはなく、僕もバス代を払うことなく、めでたしめでたしで初めてのヒッチは終わった。かに思えたが… 後日、大事なことに気が付いた。

僕らが去った後の運ちゃんと上司の会話である。
「お前、新車のバスに客乗せて内職してただろう」
「いいえ、そんなことはしてません」
「だったらあの日本人ともう一人のはどうしてお前のバスに乗ってたんだ?」

かわいそう話である。なんで僕が心配してあげなきゃならんのか、今ひとつ合点がいかないが、これも一期一会か。今になってもその後の運ちゃんの運命が気になって仕方がない。僕の人生に余計な心配事を一つ、抱えてしまったのだ。

やっぱり、バスに乗る時には運ちゃんの目を見て選びたい。余計な心配を一つ抱えないためにも。