遠くへ行きたい Part-1●1996西双版納-昆明
 


昆明から西双版納・景洪への飛行機の切符は取りにくい。
航空会社のカウンターで、「切符ありますか?」と聞いたら「切符はあるけど、明日のも、明後日のも、その後のも、15日後まで満席だ」と言われた。こっちは会社を休んで来ている身なので、15日は待っていられない。だから、バスで行くことにした。24時間かかるとガイドブックには書いてある。サラリーマンになって、ボーナスを貰える身分になったのだから、こういうしんどい乗り物とはさようならしようと思っていたのに、壗ならないのが中国の旅の宿命。あきらめるしかない。景洪に行くのをか、いやいや、優雅な飛行機の旅をだ。


茶花賓館の近くのチケットカウンターの前でバスを待つと、昨日チケットを売ってくれたオバチャンが慌てて飛び出してきた。時間がないから急いでついて来いと僕をタクシーに押し込んで、鉄道の駅まで連れてゆく。そこにバスがあった。タクシー代はオバチャンが払った。バス代の一割くらいする。これもバス代の中に含まれているのだろうか。だとしたらひどく不合理な料金設定だ。それに、早めに行ってバスの良い座席を確保するという中国乗り物乗車大原則のその1が早くも破綻している。既にバス発車の30分前で、当然ながらバスの乗客は思い思いの席を確保しており、ろくな場所は残っていないはずだ。と思って車内を見渡すと、前の方の席が空席だ。しかも他のは全て2人掛けだというのにその席だけ1人用である。これが幸運でなくて何だろう。

幸運ではない。その座席の窓ガラスはヒビが入っており、頼りないガムテープで留めてあった。間違えてガラスを触ると、テープはゆるゆると剥がれ、ガラスがポロリと落ちそうになる。無論、割れた窓からは始終すきま風が吹き込み、夜ともなれば冷ややかな風が足元を冷やしてくれる。幸運な席ではなかったが、不幸というほどではない。幸いこの席は右側だった。右側通 行の中国においてはこれは重要なことで、すなわち、対向車の噴き放つ排気ガスの被害は最小限で済んだことには感謝せねばならない。

このバスは寝台バスである。中国人の発明だろうか?だとしたら刮目すべき発明である。まさか、バスの中で人間が横になって眠るということは日本人には考えつかないだろう。いや、そもそもそんな乗り物、運輸省が黙っていまい。

席はリクライニングになっており、背もたれが180度近く傾く。かなり快適である。ただし、自分の頭のすぐ下に後ろの人のムレた靴下があるのが不快だ。人間を沢山積載できるように、席は二段になっている。二階建てベッドである。二階部分は良く揺れる。下の席なら鉄製の揺り篭のように良く揺れるが、上の席だとバネでできた揺り篭のように凄く揺れる。これが最後尾の席の上の段だと、自分のケツが席に密着している時間と、席から離れて宙を舞っている時間がほぼ同じということになる。ふと見上げると、天井の丁度頭の位 置に相当する部分が大きく陥没していたりする。おかげで自分は頭をぶつけずに済むが、それは誰かが大きな痛みと共に空けてくれたその陥没痕のおかげである。

脱線した。そんなバスの鋼鉄の揺り篭に揺られ、景洪に向かう。バスは給水のために4時間に1度くらいのペースで休憩を取る。その度に運転手が交代し、休憩に入った運転手は鋭気を養うために自分専用のベッドに潜り込む。坂道であり、道は曲がりくねり、対向車も多い。ハードな仕事だ。ゆっくり休んでまた4時間後に再登場を願おう。

景色はいいが、窓が小さいのであまり良く見えない。前の席の子供が嘔吐を始める。窓が小さくて良かった。すきま風が寒い。備え付けのタオルケットを足に巻き付ける。席のクッションが相当くたびれていて、尻がなんだか痛い。これはもう眠るしかない。ほとんど眠っているうちに景洪に着いた。25時間の旅だった。


旅に行きがあれば帰りもある。一生帰らない旅があってもいいが、そういうのは一般 的に「引っ越し」と呼んでいる。帰れば仕事が待っているので、帰るしかない。仕事以外で、誰か待っている人はいるだろうか。などと考えると、なんだか旅人のセンチメンタリズムようでかっこいいが、このときは考えなかった。「まあ、帰るだろう、普通 は」という程度の軽い気持ちである。帰るとなると、飛行機の切符がない限り、あのバスにもう一度乗る必要がある。そして、案の定、飛行機の切符はなかった。


帰りは出発の1時間前に行ってバスに乗り込み、もっとも綺麗で、もっとも前の方で、もっとも席のクッションが故障していない、そんな席をさがした。だが、そんな席はどこにもない。どれもまんべんなく汚れていほころびが目立っていた。そんな席の中から叩いたり触ったりして西瓜を選ぶように一つ一つ丁寧に吟味し、中で最もマシと思えるのを選んでそこに寝ころんだ。

しばらくそこで出発を待っていると、子供を連れた夫婦者が乗ってきて何やらゴネはじめた。もう2人掛けの席が空いてなかったのだ。「ばーか、早めに来て確保しないからだよ」なんて呑気な気分で見ていると、運転手が僕の所にやってきた。僕が一人で2人掛けに座っているのを見つけてしまったようだ。席を替れと言われて、色々と抵抗を試みるが、相手はバス乗客全員の生命を握る運転手である、逆らうと後が怖い。トイレの最中においてきぼりを喰らうことになるかもしれない。それに、今ならまだ席を選べるが、後で移るとなると、いい席はなくなる。最後尾なんてご免である。泣く泣く別 の席を吟味する。いくつかの選択肢はあったが、とても汚れており、落花生や向日葵の殻が落ちていて、左側の窓側にある、隣に上半身裸の小太りの青年が乗っている、そんな席が、空いている中では最良のものだった。1時間も前に来た苦労は何だったのか、ちょっと悲しかった。

僕の隣の席となった小太りの青年が、何故ハダカなのかよくわからない。きっと暑いのだろう。しかし、小太りな上、寝相が悪く、まだバスは走りだしてもいないのにゴロゴロ体を動かし、その裸の胴体が僕の体に密着する。甚だ気持ち悪い。

僕の席を略取した夫婦者は、席に落ちていた落花生や向日葵の殻を丁寧に取り払い、クッションを確認してから横になった。気の強そうな奥さんが、旦那に何やら文句を言っている。「あなたの段取りが悪いから、飛行機の切符が取れないのよ。こーんな汚いバスなんかに乗せて、子供がビョーキにでもなったらどうするつもり?」ってな事を言っているに違いない。旦那は気を使っちゃって、西瓜とか、ジュースとか、落花生とか、いろんなものを買って与えて、しきりに奥さんに気を使っている。その西瓜、席の上で食うのだろうか。その落花生の殻、席に残していくのだろうか。

帰りのバスは行きのの倍は汚かった。工場を出荷されてから一度も掃除したことないことを容易に想像できる汚さである。いったいこの席は何人の乗客の西瓜の汁や落花生の殻、汗やヨダレを吸い込んで来たんだろう。余り想像したくないが、ゲロもこぼれているかも。それに備え付けのこのタオルケットは何人の乗客の眠れない夜を包み込んだのだろう。ちょっと動かすと、モワッと埃が舞う。きっと雑巾のかわりに窓を拭くのにも使われたはずである。…想像したくないが、ゲロを拭くのにも。様々な、悪夢のような思いが駆け巡って、うんざりしたので目を閉じることにした。こうすれば何も見えない。

バスはかなり快調に走っているようだった。外の様子を見てみようと眼を開けると、眼の前20cmくらいの所を対向車が走り抜けてゆく。カーヴで対向車があると、まるでこちらのバスの横っ腹めがけて突っ込んで来るように見える。でも何故か衝突はしない。内輪差と外輪差がギリギリの所でバランスを保って、この狭い道路で均衡を守っているようだ。でも、次々と対向車が目の前を擦りそうな勢いで通 り抜けるので、見ていられなくて眼を閉る。都合のいいことに段々眠くなってきたので寝る。

浅い眠りで、度々うつつに戻るが、無理に眠る。バスはかなり快調に走っているようだ。行きには度々給水していたのだが、ほとんど給水なしで、従って休憩も食事休憩以外はほとんどなかった。良く眠った。熟睡ではないが、適度に意識が薄く、やな現実からは逃げることが出来た。

夜中に体が冷たいので眼を覚ます。足に巻き付けていたタオルケットがなんだかヒンヤリする。何だろう?暗闇を手探りで触ってみるとタオルケットが濡れている。水がこぼれたのだろうか?水筒を見るが異常ない。雨が入ってきたのか?雨は降っていない。隣のヤツが何かこぼしたのか?一体何をこぼしたのか?恐ろしくなってタオルケットをぐるぐるに丸め足元の隅に押し込んだ。隣のヤツの寝相が悪く、足が僕の領域に遠慮無く侵入してくる。タオルケットが足にあたって冷たい。やな現実が増幅して迫ってきたので、眼を硬く閉じて羊の数を数えた。

ふと眼が覚めると、朝のようだ。バスが止まった。小用を足そうとバスを降り、トイレに入るとバスの運転手がしゃがんでいて、僕と目があって、にらまれた。よりによって入り口に最も近い個室に、入口の方を向いて、しゃがんでいる。勿論扉はない。

気まずい気持ちで急いで小用を済ませて、ふと冷静になった。この運転手は僕に席を代わるように促した運転手である。かれは景洪を出るときハンドルを握っていた。晩飯の休憩の時も、彼が運転していて、食後も彼が運転した。そして、今も彼がバスを停車させてトイレに入ったのだ。彼以外の運転手らしい人はこのバスには乗っていない。用を終えた彼は、バスに戻ると、またハンドルを握りアクセルを踏み込んだ。心なしかスピードが速いように思える。運転も乱暴なようだ。休憩も全然なしにつっぱしる。僕はまた眼を閉じた。

次に眼を覚ましたとき、バスは既に昆明の市街地を走っていた。まだ出発から23時間しか経っていないので、にわかには信じられなかったが、本当に昆明のようだ。運転席を見るとやっぱりあの運転手が座っている。23時間ご苦労さんである。たいした持久力、たいした労働意欲、たいした運転技術である。昨夜の晩飯以外なにも食わず、23時間走り通 した。あっぱれである。きっと早く着きたい一心で飯も食わずに走り通したのだろう。おかげで行きより2時間も早かった。

子連れの夫婦者がバスを降り、上半身裸の青年もシャツを着てバスを降りる(夜もずっと裸だったのだ)。何やら去りがたい気分を感じながら、生きて昆明に到着した喜びを噛みしめて、バスを降りる時、運ちゃんに何か一言かけたいと思い、言葉を捜した。ご苦労さん、ありがとう、一人で運転したのか、相棒はいないのか…。いろいろ考えたが、ドアーのステップに足をかけた途端、口から出た言葉は「到了!(着いた)」だった。


中国のバスはそれほど酷い乗り物ではなく、もっと凄いバスは世界中に沢山ある、という意見も多いだろう。それはごもっともで、反論する気持ちはない。そもそも寝台バスなど贅沢極まりない乗り物で、2日も3日も普通 の座席バスにゆられるそんな旅もある。しかし、出来ることなら多少銭の力を借りてでも楽な道中を過ごしたいと考えている僕の旅の力学としては、なんとしても避けたいのが寝台バスということになる。

ところが、最近この寝台バスが徐々に中国人の生活の中に溶け込んでいるのようで、わずか4時間ばかりの昼間の行程にも導入されつつある。あるとき、北海という街のターミナルで、「湛江行きのバスで、最も良いヤツの切符をくれ」と注文したところ、寄越したチケットが昼間の寝台バスだったのにはうんざりした。確かに横になれるので楽かもしれぬ が、一切身動きが出来ず、景色も良く見えないのでかえって苦痛である。

バスのグレードもパワーアップしている。といってもより美しく、より快適にといったものではない。むしろ経年劣化と共に車体はどんどん古くなっており、新車に巡り合う確率は絶望的に低い。新車は諦めよう。唯だ、もしもバスの道に希望の糸を探るなら、最近増えてきているバリエーションに求めるべきだ。

一つはバスの超長距離化である。南寧で、昆明行きのバスを見たときはめまいがした。48時間くらいかかる。しかし、切符は手に入れやすい。席なしの列車か、寝たきりのバスか、こんな究極の選択を迫られるハメには陥りたくないものだ。

バスの小型化というのも最近の傾向だ。中型のバスに、やはり寝台リクライニングシートを搭載してある。これならば大型バスの通 れない細い道もすいすい走れて便利である。しかし、そんな細い道を夜中に疾走するのは甚だ危険なのではないか?昼間のバスで谷底に転落するのを目の当たりにするか、夜中に寝ている間に谷底に転落するか、これも究極の選択である。

大理から昆明までのルートは以前は寝台バスの激戦区だったようで、デラックス・フラット・スリーパーなるバスが導入されていた。例によって飛行機の切符の入手に失敗した僕は、「デラックス」の文字には眉にツバをしながらも、「フラット」なる言葉にすがる思いで切符を購入した。バスは東欧製である。こんなものを造るのは旧共産主義国家ならではである。人権意識が若干欠落している。アメリカも人権うんぬ ん言う前に、一度このバスを体験すれば良い。これが彼らのデラックスな乗り物なのだ。

フラット・スリーパーは間違いなく平らな寝台だった。長さ180cm、幅100cm。まったいらである。しかしながらリクライニングシートのような、尻の部分の適度なくぼみや、席ごとに分離された背もたれ、そういうのが無い。まったいらで、自分の席の領域が決まっていないのが厄介だ。そこに、身長200cmの巨大西洋人が二人、抱きあうように寝そべるのである。隣に可愛い女の子でも来ない限り安眠はない。

ゼニの力に全幅の信頼を寄せた僕は、この時とても贅沢な選択をした。チケットを2枚買ったのだ。ベッドふたつを独り占めの8時間、それでも決して快適とは言えなかった。

 

バスの旅。書き足りない事がまだ沢山ある。乗客とのコミュニケーションを取るのならバスの旅が最も良いだろう。道中退屈だし、みんな辛い道のりを走る仲間として、奇妙な連帯感が生まれるからだ。が、今回はここまで。

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