アンシャンレジーム●1990南寧
 


中国名物の一つに無愛想服務員というのがあります。服務員というのはサービス要員のことでホテルのフロントから列車の乗務員まで色々な業種で存在します。彼らの仕事はサービスする事なのですが、彼らの辞書にサービスという文字はありません。
こういう服務員は「没有」という言葉を使います。「ない」という意味です。そして彼らの必殺技は「投げ銭」攻撃です。この二つを喰らってげんなりしない外国人はいません。
中国の商店にはよく、壁に大きく「為人民服務(人民のためにサービスしよう)」というスローガンの張ってあります。でも、このスローガンの目の前で仕事している服務員からでもきっぱりと「没有」と言われてしまいます。この言葉が出ると、その服務員の仕事は完了で、もう一切相手にしてくれません。もし希望する商品が有って、それをを売ってもらったとしても、おつりは投げて返してくれます。そっと置くとか、手に乗せるという事はしません。

こんな無愛想服務員が最近の中国では激減しています。なぜでしょう。昔、西ドイツの大統領夫人が買い物に行った時に釣り銭を投げて返されて激怒したという有名なエピソードがあります。本当かどうかはさだかではありませんが、それ以来中国では文明礼貌キャンペーンが繰り広げられて「投げ銭」は姿を消しました。時々は見られますが、最近では見れたらラッキーと思うほどまれになりました。「没有」も激減です。中国の高度経済成長に伴って商品が豊富になり、無い物が無くなってきた結果 でしょう。

さて、話は1990年の事です。

没有の服務員は社会主義中国の悪い一面ですが、南寧の街で泊まった南寧飯店はその別 の一面を見せてくれました。
このホテルはこの街でもかなり格式のあるホテルで、外国からのお客様や、中央政府の中堅幹部が泊まった類のホテルです。
このホテルには様々なタイプの部屋がありました。普通外国人は高い部屋にしか泊めてくれないのですが、このホテルで料金表を見せてくれて選ばせてくれました。中国のホテルで料金表なんて見たのは初めてです。僕は28元(当時800円位 )の風呂付きのシングルルームを頼みました。「没有」って絶対言われると思ったのに、服務員さんは快くOKしてくれました。
その時僕は外貨券(当時外国人にのみ流通していた外貨兌換券)しか持っていなかったのですが、おつりがフロントにありませんでした。こういうときは100%おつりは人民元(普通 のお金だが当時外貨券100に対して120の価値しかなかった)でくれるものですが、服務員さんはどこかで両替して来てくれてちゃんと外貨券でくれました。

部屋に入るとそこは素晴らしい所でした。巨大な部屋に巨大な事務机、巨大なベッドに巨大なバスタブがあって、しかもそれまで泊まったホテルに比べて破格に安い!床には絨毯なんか無いのですが、ピカピカに磨いてありました。シーツはへたへたなのですが真っ白に洗濯してあります。バスルームもクレンザーでタイルが禿げるまで磨いてあります。僕はすっかり気に入り、2泊する事にしました。

そうと決まれば洗濯です。面倒くさいのはGパンの洗濯です。僕は客室係のお姉さんに「洗濯できる?」と聞いてみました。客室係は黙って僕のGパンを持ち去ると、わずか30分で帰ってきて濡れたGパンを僕の部屋の真ん中に干しました。絞ってもいないので水が滴っています。僕がいくらかなあと思っていると客室係は黙って出ていってしまいました。結局洗濯代は請求されませんでした。多分ここにはランドリーサービスなんて無かったのでしょう。でも、この人は何も言わずにやってくれたんですね。
ホテルの外では結婚式をやっていて爆竹が鳴っています。テレビを見ると日本のニュースをやっていました。社会党の圧勝を受けて土井委員長が記者会見している映像が流れています。僕はなんだかホームシックのような気分になりました。
もしかしたら僕は少し旅の疲れを感じていたのかもしれません。たったこれだけのサービスを受けただけでホロリとしてしまうのですから。でも、「没有」の嵐をくぐり抜けてきた後だけに、とても嬉しかったのは確かです。

この様なホテルを僕は「文革ホテル」と名付けました。表現としては「社会主義的ホテル」と言った方が正しいかもしれません。経済効率を無視した巨大な建物、思想教育を徹底した服務員のサービスがその特徴です。この様なホテルに泊まれる人は限られています。普通 の人民がフラッと来ても門前払いにあってしまいます。外の人に見せるために必要以上に大きく設計した建物や、徹底した従業員教育が必要だったのです。
日中国交正常化前後に中国を訪れた日本人は口をそろえて中国は素晴らしいと言いました。その背景にはこういうふうに徹底的に教育された服務員のサービスがあったのだと思います。南寧飯店に泊まった中国の幹部もきっと南寧は素晴らしいと口をそろえたのではないでしょうか。
この種のホテルはここの他にも済南でも見かけましたが、今はもう無くなってしまったでしょう。残念に思います。資本主義的利益追求型の競争社会になって、このような悠長なことはやっていられません。
ところが、ごく最近、この文革ホテルに、意外なところで出会いました。ラオスのビエンチャンのLane Xangホテルは若干老朽化していますが、まさしくそれでした。