雷峰同志に学べ●1990海口
 


天安門事件からほぼ10ヶ月経って、中国は経済開放と思想の引き締めの狭間で揺れ動いていた時でした。海南島は経済開放のシンボル的な場所であり、数多くの人がこの土地で一攫千金を夢見て押し寄せてきました。だから中国人がこの島に入るには特別 な許可証が必要でした。ここで僕が見た物は、日本のゼネコンが施工する巨大ビルディングの建設現場と、学雷峰運動でした。前者は経済発展の象徴として、後者は思想引き締めの象徴として、この時代の中国の状況を端的に現しています。

学雷峰とは「雷峰同志に学ぼう」という意味です。雷峰は人民解放軍の模範的兵士の名前です。彼は人民に優しく、敵には厳しく、常に勤勉で、独学で読み書きを学んで同僚の兵士に教えたそうです。23歳で死んだあと、彼は人民の模範として党によって盛んに宣伝され、英雄に祭り上げられました。
さて、学雷峰運動の具体的内容はと言いますと、人民に奉仕するということです。職場の単位 でそれぞれに出来ることを無償でやります。下の写真は武装警察による露天床屋です。みんな不安げな顔で切ってもらってます。

みんな出来る範囲で色々なことをやっています。警察はコピー商品の見分け方についてレクチャーしています。銀行は金融相談、保険屋は保険相談、裁判所は司法相談、電気屋さんは電気製品の修理、美術学校の生徒は似顔絵描き、そして医学生は血液型判断をしていました。(写 真下)

みんな路上に出て、自分に出来ることをしています。そして、何の能もない武装警察は床屋をしているわけです。多分全員トラ刈りにされます。
この時期、テレビのニュースも学雷峰一色です。こんなニュースがあったので紹介しましょう。

『ある解放軍の部隊にとても貧乏な兵士がいました。この兵士の同僚は雷峰を見習って、密かにお金をカンパして兵士の母親に送りました。すると、母親から「いくら貧しくてもお金をもらうわけにはいきません」と返事があり、お金は全額返ってきました。お金を送った兵士達も、お金を返した母親も、なんと雷峰的精神に満ちあふれていることでしょう。』

『今日の午後、とあるフェリーから乗客一人が海に転落しました。それを見た乗客の二人がすかさず海に飛び込み、この人を救出しました。すると、フェリーの乗客の中から「ああ、ここにも雷峰がいたか!」という賞賛の声が飛びました。』

こんな素晴らしい学雷峰運動ですが、やっぱり殆どの人には関係ないことで、街の中ではこんなポスターが客の興味を引いていました。

『グッドニュース!建国以来のナンバーワン。ビデオ上映「性と性生活−新婚学校」。20歳以下入場禁止』と書いてあります。見たかったなあ。