列車の旅の必需品●1989漢中-成都
 


漢中は三国志で有名な街で、諸葛孔明の墓をはじめ五丈原、蜀の桟道などの見所の多い所です。しかし、1989年当時、観光化はされておらず、地図やタクシーやガイドや客引きが全くいませんでした。だから来てはみたものの見て回る事が出来ず、早々に立ち去ろうと駅に行ってみると、困ったことに切符までありませんでした。しかたなく、翌朝の6時に駅に行ったら2時間並んでやっと買かえました。
上の写真は何もない静かな漢中の駅。


列車は馬鹿みたいに混んでました。はじめ中に入れないのでデッキの所に居ましたがトイレが臭いし水が流れてきたので無理して車両の中程に進み、寄り掛かる所をさがします。
一駅ごとにすくかと思ったら混んできました。しゃがむ事も出来ず、寄り掛かる場所もいつのまにか誰かにとられてしまいました。

こんなに混んでいるのに掃除をしに来ます。はじめは子どもみたいなのが、前の方から後ろの方に箒で掃きながらやってきました。途中でちりとりで集めればいいのに、一車両の全てのごみを後ろに集めようとしています。でもごみの量 がとても多くて丁度車両の半ばで動かせなくなってしまいました。子どもはそこであきらめて箒をほっぽりだしてどこかへ行っちゃいました。ごみの山が目の前にあって僕は凄く不愉快です。程なくするとやけに陽気なオッサンがやってきて山のようなごみを全て窓から投げました。凄い埃です。
僕のそばには赤ちゃんを連れた家族が座っています。赤ん坊は埃を全身に浴びていますがめげる気配もなく、ごきげんです。お願いだからオシッコだけはしないでねと祈ります。

錦陽でさらに人が乗ってきました。ここで乗ってきた中学生くらいの子ども二人はタバコをスパスパ吸い、ジュースをラッパ飲みしています。ガラが悪いです。ラッパ飲みしたジュースを赤ん坊にも飲ませようとします。赤ちゃん美味しそうに飲みます。これに飽きると子供らはアイスキャンディーを買い、これを手のひらで溶かして赤ん坊に飲ませようとします。はじめ真っ黒だった手のひらが白くなっちゃいましたよ。あれ、透明だったアイスが茶色になっちゃいました。赤ん坊もさすがこれには手を出しませんでしたが、母親は知らん顔です。

駅に着いても人が降りられないほど混んできてしまいました。どうやって降りるかと思ったらみんな窓から降ります。でも降りた以上に乗ってきます。もう朝の井の頭線くらいの混雑です。
約12時間の列車の旅でした。下の写真は混雑する成都の駅。

「蜀への路は天にも登る路」と古の人は言いました。山に囲まれた四川省への道が大変険しい事を例えたのですが、この列車の旅で僕ももう少しで天に召される所でした。