1989●長沙
 


長沙からの切符を取るために駅に行ってみした。随分並んでやっと窓口にたどり着いても、答えは没有(ありません)。どうやらここで大きな会議があるらしく、切符は全く手には入りませんでした。ダフ屋すらお手上げという始末。

翌日、朝3時半に起きて切符入手α作戦始動です。この時間に行けば駅もすいているだろう。すいていれば窓口のお姉さんも少しは機嫌がいいだろう。そうならばきっと切符を売ってくれるだろう。よーし、ゲットするぜ!うりゃー(気合)。
急いで服を着て、駅に行こうとしたら早くも第一の障害。ホテルの入り口が閉まっているのです。ホテルから出られません。従業員は熟睡中のようで、呼んでも出てきません。しばらく呼んでいると、ドアーの外に従業員が見えたのですが、その人も鍵を持っていませんでした。そこで、従業員控え室を、中と外から思いきりノックします。ホテル全体が激しく振動します。客全員が起きちゃったんじゃないかと思う頃、やっと眠そうな目をした女性がパジャマ姿で出てきてドアを開けてくれました。

思わぬ所で時間を無駄にしたので急いで駅へ。5時すぎに駅に着いたところ、予想に反してもう長蛇の列。随分並んだのに、あと3人というところで窓口が閉まってしいました。隣の列に並んで待ったけど、上海方面 の切符を買おうとしている人たちはみんなお金を突き返されている様子を見てあきらめました。

どの窓口も横入りする奴等が異常に多くて雰囲気はかなりピリピリしています。入られないようにと、並んでいる人が前の人の肩に手を置いて、まるでジェンカを踊っているみたいに列になっています。窓口のエサにむしゃぶりつくムカデの大群といった構図です。最悪でした。

もう私は硬臥(2等寝台)に乗ることはあきらめていました。軟臥(1等寝台)も無理でしょう。椅子席でいいのでせめて指定席は取りたいという希望は強くありました。既に漢中-成都間で席無しの惨劇は十分味わっています。おまけに武漢-岳陽間、岳陽-長沙間でも席無しで、ずーっとトイレの前でしゃがんでいました。なんとしても席は欲しいです。長沙-杭州間は夜行列車だし、12時間以上かかるのです。

とりあえず私はこの街で切符を捜すことはあきらめ、ダメモトで隣にある街、株州までバスで行ってみました。2人座る椅子に3人も座らせる極悪バスです。僕は通 路側だったので常に半ケツ状態でした。しかも凄い振動。ケツいてー、の1時間半。しかもその間ずーっと、席無しの列車のトイレの前でしゃがんで泣きベソかいている自分の姿が目に浮かんで離れません。

さて、株州に着いて駅に行き、軟臥専用の窓口があったので、杭州までの軟臥(1等寝台)の切符を頼みました。すると「あるよー」という脳天気な返事。「え、あるのー!じゃー硬臥(2等寝台)は?」「それは無い」「しょうがないな。でも寝台車が取れるなんて幸運だ」とパスポートとお金を差し出しました。すると、窓口のお姉さんはとても驚いた感じで「え、あなた外国人なの!ねえ、この人外人なんだって!」と大騒ぎするではありませんか。これはチャンスと私は「日本人なんです。硬臥(2等寝台)が欲しいんです」ともう一度言うと、このお姉さんは、隣の、既に閉まって帰り支度をしている窓口のお姉さんに言ってくれたのです。「この外人さんが、硬臥が欲しいんだって」。

まさに帰ろうとしていた隣の窓口のお姉さんは嫌そうな顔をしながらも何とか私に切符を売ってくれました。こうして幸運にもこの日の、1時間後に発車する、長沙ではどうしても取れなかった列車の切符を、一切並ばずに手にすることが出来たのでした。

列車は凄く混んでいましたが僕は悠々と寝台に横たわって、寝て過ごしました。寝台の一番下のベッドは4人掛けの席になっていました。普段ならベッドになるはずの所を、異常に混んでいたので椅子席として使用していた訳です。

杭州までの12時間、僕は王様の気分でひしめき合っている下の席の様子を見おろしながら、ゆーっくり眠りに着いたのでした。めでたしめでたし。