カンボジア旅行記 その1・ボコールマウンテン&カンポット
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カンポットへの道。はじめの1時間はプノンペンへ向かう高速道路で快適だが、その後1時間はものすごい悪路。


山頂からの眺め。午前中に行った方が良いです。午後だと逆光になります。


パゴダがあります。荒れ果てて中は落書きだらけ。


落書きの犯人の一人。バイクの運転手、プロス君。俺の名前を書くな!


こちらは教会。荒野の中にポツンと建っている。


教会の中も落書きだらけ。プロス君はまた俺の名前を…。


カジノで財産を失った人が飛び降りたという岩。


カジノの正面。良く見ると「Bokor Palace」の文字が残っています。


カジノの中にあった落書き。「Bokor town beautiful future」と書いてある。


カジノ内の階段。建築物として優れていると思う。


プロス君が見つけた地雷。誰かが踏まないように周りに石を積み上げた。


ボコール山の管理所。宿泊所も兼ねる。一泊5$/1人。電気は自家発電、水は池の水。おまわりさん常駐。食堂はない。


ボコールへの道。一応舗装はされている。ただしメンテナンスはしていない。


カンポット郊外で見たサンセット。


カンポットの街にかかるカンポットブリッジ。川はカンポットリバー。


ホテル「Phnon Khieu」カンポットの街の真ん中、ロータリーに面してある。窓なしシングル5$、窓付きツイン7$。全て水シャワー・ファン・TV・冷蔵庫付き。

ボコール(BOKOR)はカンボジア南部のシアヌークヴィルから東に約100kmの所にある山です。ここは1900年代前半に高級避暑地として賑わった所ですが、現在は完全な廃墟になっています。シアヌーク国王の別荘や豪華なカジノ、教会やパゴダなどがありますが、全てボロボロで、当時の面影はありません。住んでいる人は公園を管理する人だけで、ゴーストタウンになっています。

ボコールのことはガイドブックなどにはまだあまり載っていません。ネットサーフィンでカンボジア情報を探していた時に偶然見つけたBert Hovius' Homepageを見て無性に行きたくなって、今回第一の目的地としました。あまり情報がない場所なので果たしてたどり着けるか心配でしたが、何とかなるものです。

ボコールへは直通の交通機関はありません。シアヌークヴィルからタクシーをチャーターすれば行けなくはないでしょう。しかし、英語を話すタクシーを見つけることが困難だったし、金も沢山かかりそうだったので、とりあえずボコールの近くの街、カンポットまで行くことにしました。これなら交通機関があります。マーケットから出ている乗り合いタクシーです。

朝9時に出発した乗り合いタクシーは3時間弱でカンポットに着きます。日本から輸入した中古のコロナで、右ハンドルです。助手席を一人で占有して、片道5$でした。後部座席には大人4人、運転席には運転手と子供が一人座っています。助手席も本来なら定員2人なのですが、でこぼこ道を誰かと抱き合って行くのは我慢できなかったので、2人分の料金を払いました。

道は悪路でしたが、助手席は快適でした。隣で子供を半ば抱えるようにして運転している運転手は窮屈そうですが、気にしないことにしました。後ろには4人座っているのでこれも窮屈そうでしたが振り向かないことにしました。だから気がつかなかったのですが、僕のすぐ後ろの席の男は体調が悪そうで、窓から首を出したと思ったら、やっちゃいました。ゲロです。僕はよほどゲロ攻撃に縁があるようです。この男、ゲロ慣れしていないせいか、上手く出来ず、俺の顔めがけて飛んで来ました。かかりましたよ。お粥ゲロでした。顔とシャツと鞄に少々。幸いだったのはこの男、粥しか食っていなかったことで、色も白だったし、はたいたらとれちゃいました。よかった。これで野菜炒めなんか食べていたら悲惨なことになっていたでしょう。

途中、カンポット州の州境で検問がありました。外国人がチェックされていたようで、パスポートを出せと言われました。警備の兵士は英語はさっぱりです。たまたま車に英語を話すオッサンが乗っていたので訳してもらったのです。兵士は僕のパスポートを逆さに開いて読んでました。コントでは見たことありますが、逆さに持ったパスポート真剣に読む兵士の姿を目の前で見るのはなかなか滑稽でした。笑うとしゃれにならない雰囲気だったので真面目にしてましたら、すぐに通してくれました。

カンポットに着くと早速バイクタクシーの運ちゃんが寄ってきたので交渉します。僕は車をチャーターするつもりでいましたが、バイクでも行けるとのこと。しかも半日あれば十分往復できると言います。そこでまずはホテルに連れていってもらい、午後からボコールまで12$で交渉成立。早速荷物をまとめて出発します。12$は言い値ですので交渉すればもっと下がったかもしれません。車だと30$で用意出来ると彼は言っていました。

ボコールまでカンポットから40km。道は一応舗装されていますが、長年の風雨にさらされ、かなり痛んでいます。振り落とされそうで怖いです。道はほとんどが山道で、標高1000メートル以上を登ることになります。山の入り口で入園料2$を払います。

街から1時間半、はじめに見えてくるのがシアヌーク国王の別荘です。ちっちゃい建物です。勿論廃墟になってます。別荘のテラスからの眺めは素晴らしく、カンポットの街が遠くに見えます。この日は元旦で、カンボジア人が沢山いて弁当を食っていました。バイクの運転手プロス君が麓で買ってくれたバナナを食べてしばらくぼーっとします。

別荘から15分で道が分かれています。滝に通じる道です。滝へは2kmほど歩かねばならないそうです。「今は乾期だから水が無いので行ってもしょうがない」というプロス君の言葉に従い、滝には行きませんでした。

別荘から20分でパゴダに着きます。途中には兵舎の跡や金持ちの別荘の跡がチラホラ建っています。大きな樹木は全くなく、草原が続きます。「ここを占領したベトナム人が木を全部切り倒して持っていってしまった」とプロス君は言います。パゴダもすっかり荒廃しています。かって仏像が安置されていた場所には線香があげてあり、ピクニックに来たカンボジア人がお祈りしています。

パゴダのすぐ近くには教会もあります。ここも何も残っていません。かっての祭壇の跡には大きな落書きがしてあります。裏にはかってのキッチンとトイレが残っていました。「トイレ行きたいか?ここにあるよ」とプロス君。でもこんなトイレでするくらいならその辺の野原でした方がなんぼもましです。

最後に行ったのがカジノです。かなりデカイ建物が残っています。お化け屋敷のようです。勿論中にも入れますが、いつ天上が落ちても不思議ではない荒れ方です。中には客室があり、食堂があり、おそらくカジノだったと思われる大ホールがあります。客室も海に面した素晴らしい眺望のスイートから、山に面した小部屋まで、様々なバリエーションがあり、当時の栄華がしのばれます。海を見渡せるスイートに泊まり、カジノで全財産を失った人もいたでしょう。そういう人は近くにある飛び降り台から身を投げたといいます。カジノでもめ事があると、近くの兵舎に連絡があり、そこから兵隊が駆けつけたそうです。いろいろなドラマがあった事をを思い起こさせる場所です。

僕がカジノの周りをうろうろ歩いてバイクの所に戻ってくると、プロス君が向こうの方で何やらしゃがみ込んでいます。僕に気づくと、バイクを押してここまで来てくれと言います。言われた通りにバイクを押して行き、道の端っこに停めようとしたら、「草むらに入るな!」と怒った顔で言います。何で怒られなきゃならないのか、さっぱり判らず困惑していると、かれは自分の目の前の草むらを指さし、「mine」と言います。 mine?mineってなんだっけ?近づいてのぞき込もうとすると、尚も怒った顔で遮ります。この真剣な顔、そしてここはカンボジア。

「Is this a bomb?」
「No it's a mine」
「ドッカーン?」
「Yes!」

そう、これは地雷だというのです。道ばたです。草の陰に、緑色のプラスティックの円筒型の水筒の蓋みたいなのがちらりと見えます。あまりにも普通の場所にあるので信じられません。何で今まで誰も気づかなかったのでしょう?そして何故今まで誰も踏まなかったのか?それほど何気ない場所にあります。プロス君はその周りに気をつけながら石を積み上げ、木の枝を刺し、念入りに囲いを作りました。その辺の草むらを平気で歩き回っていた後だけに、それはショッキングな出来事でした。僕があまりにも無神経に草むらを歩いていたのでプロス君がちょっと脅かしたのかもしれません。それともはるばるやってきた観光客に、カンボジア第一の名物を見せてあげようという演出だったのかもしれません。いずれにせよ、プロス君は大まじめで、地雷に囲いを作ると公園の管理事務所に報告に行きました。

管理事務所には警官が一人、そしておばちゃんと何人かのおじさんがいます。ここは宿泊所も兼ねていて、1泊5$で泊まれるそうです。ついでだから部屋を見て行ってくれと促されて、覗いてみました。清潔な部屋にはベッドが4台。洗面所とシャワー。設備は問題ないですが、他には客はいませんから寂しいでしょう。幽霊とか出そうだし、メシに不自由しそうだし、わざわざ泊まりがけで来る程の所ではないです。

時計は4時になろうとしていて、陽が沈む前に帰りたかったので、来た道をもどります。1時間40分で頂上から麓の公園事務所へ到着し、一休みします。Tシャツの袖で顔を拭うと、袖が泥色になってしまいました。バイクの後ろに座っているだけなので対向車がまき散らす砂ほこりを全身に浴びてしまいます。眼鏡なんかすっかり曇ってしまって前がよく見えません。肩から掛けていた鞄をパンパンと叩くと茶色い埃が舞いました。早くホテルに帰ってシャワーを浴びたいです。陽も間もなく沈みそうです。

「さあ帰ろう」とプロス君を促したのですが、何とも親切な事にかれは途中の漁村に立ち寄り、僕にサンセットを見せてくれました。「外国人はサンセットが大好き」と彼の思考にインプッドされているのでしょう。僕はとにかく早く帰りたかったのですが、親切とわかっているので文句も言えず、しばらく日没を観賞します。

「もう十分、帰ろう」と再度促し、街に向かいます。所が、さらに親切な事にプロス君は僕をカンポットの川沿いの公園に連れていってくれました。ここから陽が沈んで赤くなった夕焼け空が望めます。大変美しい景色ですが、もう僕はシャワーの事しか頭にありません。

「レッツ・ゴー・バック・トゥ・ザ・ホテル!」三度バイクにまたがると、ちょうどそこに船がやってきて、何人かの外国人が下りてきました。「どこに行ってきたの?」と彼らに聞くと、船で沖の方にある小島に行ったとのことでした。片道2時間。美しい砂浜があるそうです。マルコポーロというレストランで40$で手配して行ったという話です。悪くない話です。とても心が動きました。プロス君は、「マルコポーロで頼むと高いよ。僕の知り合いの船なら20$で行けるよ」と言います。ますます心が動きます。しかし、このときのクタクタの状況では明日の予定を考える気力は無く、プロス君の申し出は断りました。

「アイ・ウオント・トゥー・レスト」やっとバイクはホテルの前に到着し、僕はシャワーを浴びる事ができました。

翌朝、早めに起きて街を散策します。カンポットの街はカンポット川の川岸に沿って開けた街で、川岸は公園になっています。街の中心にはロータリーがあり、そこから西に向かうとカンポット橋、北に行くと鉄道の駅、南には乗り合いタクシー乗り場があります。川はロータリーの西100mくらいの所を南北に流れています。川に沿って並ぶコロニアルの建物は、小さなバンドを形成していて、なかなか素敵な朝の散歩を提供してくれました。

2時間ばかり街を歩き回り、ホテルに帰るとプロス君が待っていました。
「今日はどうする?バイクで2時間ばかり行ったところに海水浴場があるよ。あと10km離れたところに滝もあるよ。」それも悪くはないのですが、昨日ずっとバイクにまたがっていたため、股ぐらが痛いのです。もうバイクはゴメンです。僕は今日これからシアヌークヴィルに帰る事を告げ、乗り合いタクシー乗り場まで送ってもらいました。無料でした。おまけにリンゴをおごってくれました。そのかわり名刺を奪われてしまいました。多分今後日本人が来る度に僕の名刺でセールスをするでしょう。ま、悪いヤツではないので、僕の名刺を見かけた人は彼のバイクを使ってあげてください。

帰りの乗り合いタクシーも、後部座席に4人、運転席に大人2人、助手席は僕一人でした。2席分の料金で16,000Rでした。クーラーのスイッチを入れると砂埃が送風口から飛び出してくるという酷い車でした。州境の検問では運転手は賄賂を渡してました。がたがた道を抜けて高速道路に入ると、運転手はうれしそうにアクセルを踏み込み、猛スピードですっ飛ばしました。イヌが一匹運転手の手に掛かり昇天しました。

1月2日。まだカンボジアに着いて3日目の午前中なのに既にクタクタになっていました。すごい駆け足で動いています。今日はこの後、シアヌークヴィルの青いビーチでのんびりする予定です。それが楽しみで早々とカンポットから帰ってきたのです。時間がないサラリーマン旅行の慌ただしい宿命を恨みながらボコール山観光を終えました。

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